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過去に収集した柏原市タウン情報をカテゴリー別に集約して、ご案内します。
堅上地区の主な神社寺院をご案内致します。


生安寺 #11【生安寺(しょうあんじ)】(本堂)

仏堂の軒に吊るされた鰐口は径33cm、撞座の厚み 9cmの小型のものです。銘帯には鏨で粗く「河内国道明寺長福寺 建徳2年辛亥壬三月日」と刻まれ、 鰐口がもと道明寺内にあった長福寺のもので、1371年(建徳は南北朝時代の南朝年号)に鋳造 されたことがわかります。  戦国時代、河内は石山本願寺と結び織田信長に反抗する勢力の強い地域でした。高屋城(羽曳野市) の攻防(1575)の際、道明寺では戦乱から什器、寺宝を守るため、それらを付近の安全な寺々へ避難させています。  この鰐口も、そうした兵火を避けるため生安寺に託されたものと考えられ、戦国時代、河内の動乱の 歴史を物語る貴重な歴史資料です。  (柏原市教育委員会作成案内板より転載)

光徳寺 #12【光徳寺】  (雁多尾畑)

千年前、平安時代永延二年(988)第64代円融法皇が 延暦寺の僧法圓に命じて建立、東廣山照躍峰寺と 号しに、その後天永四年南都北嶺の戦において 七堂伽藍悉く焼失、ただ雁林堂一宇のみ残る...   これが、雁多尾畑の地名の由来である。   (光徳寺の門前案内より転載)   詳しくは、寺門前の案内板をご参照下さい。

峠八幡神社 #13【峠八幡(とうげはちまん)神社】(峠)

710年に都が飛鳥から平城京に移され遷都されてから難波に行くには、三郷町の竜田神社を経て 峠八幡神社前を通り、堅上村・堅下村を通って行く道がもっとも栄えた交通路だったそうです。   そして峠村の八幡宮前の道路付近を「竜田越え」と呼ばれていました。   (参考図書:かしわらの史跡「上」)   峠八幡神社へは、雁多尾畑からも山道がありますがお勧め出来ません。   無難なコースは、JR堅上駅から亀の瀬へそこから峠に行く方が良いと思います。

金山媛神社 #14【金山媛(かなやまひめ)神社】(雁多尾畑)

御祭神の金山毘売神は、奈良時代和銅5年に書かれた古事記によりますと、 伊邪那伎(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)二柱の神様より生れになったと記されてあります。   この神様は元、嶽山の嶺に奉祀されておりましが中世時代に今の場所に遷座されました。   その間八大金剛童子社、俗に山王さん、天王さんとも稱されて来ましたが明治8年に今の社名に 改められました。   当地は古代より鉱工業の栄えた所と思われその守護神として奉祀されたのが初めではないかと 思われます。   (境内にある御由緒より抜粋転載)

金山彦神社 #15【金山彦(かなやまひこ)神社】(青谷)

御祭神の金山毘古神は、およそ千三百年前(元明天皇和銅5年)に 太安万呂によって書かれた古事記によりますと、伊邪那伎(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)二柱の神様よりお生まれ なったと記されています。 この神様は古代、嶽山の嶺に奉祀されていましたが中世にいたり、今の場所に遷座されました。  かつては山王権現、八大金剛童子社とも称されたことも有りましたが、明治8年、金山彦神社と改められました。  古代、当地の嶽山・竜田山を中心とする地域は、製鉄業で栄えていましたので、製鉄の守護神として奉祀されたのがはじめてでは ないかと思われます。  北方の高地は製鉄を営むのに最も適した風が得られるところで、風神をお祀りしたと思われる風神降臨の 聖地として御座峰が伝承されています。  文化発展の上からこの地方の製鉄を考えてみると、鉄の重要性が増してきた弥生時代後期より応神河内王朝に至るまで続けられ、多くの富 を人々にお授け下った御神徳は偉大なものがあります。  (神社案内板より抜粋転載)

青谷寺 #16【青谷寺(せいこくじ)】(青谷)

青谷寺には、木造「阿弥陀如来立像」があります。
この像は、融通念仏宗に属する北峰山・青谷寺の本尊で、像高165cm、台座30cm、 等身大の阿弥陀如来像です。
(寺の門前に立てられている柏原市教育委員会の案内板より抜粋転載)




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